日本PTA全国協議会

第2章 PTA活動の定着

第1節 日本型PTAの定着

急激な組織化が抱えた問題

(1)安易な学校後援会の衣替え
極めて短い期間内に、全国津々浦々の学校に PTA が組織されることになったが、それが可能だったのは、ほとんどの学校に戦前から運営されてきた親の会があったからであり、それらが PTA の直接の母体になったからであった。

PTAを取り巻く環境

(1)急迫する公教育財政
昭和 22 年(1947)4 月、学校教育法が施行され、6‐3‐3‐4 の学校制度が発足したが、戦後の荒廃の中、新たな学校制度の実施にはきわめて多くの困難を伴わざるを得なかった。
特に、中学校は、何らの母胎や下地をもたずに発足したため、校舎・教室の不足は深刻を極めた。青空教室や 2 部・3 部の不正常授業を余儀なくされ、また、教員も定数を満たすだけの人数を集められず、必要な免許状を持たないものも多数いるという始末であった。

教員(組合)と親の軋轢

(1)教育委員選挙をめぐって
戦後の地方教育行政では、中央集権を廃して地方分権により運営するという観点から、教育委員会法の制定をみた。 住民の選挙により、選出された教育委員の合議制による執行体制がととのえられることとなった。

PTA以外の団体の成立

PTA および日本 PTA 全国協議会は組織として順調に発展定着していったが、日教組の違法なストライキ闘争を巡って、一部の教員などとの関係では、協力連携の基盤たる関係を構築することができない状況にあった。
こうしたことから、教職員組合や一部の教職員の支援等により、日本 PTA 全国協議会とは立場を異にする親と教員の全国組織が作られていった。

第2節 PTAの新たな役割への模索

父兄負担の解消方針明確化

義務教育無償の教育行政制度の仕組みにもかかわらず、教育費の父母負担の現象はなかなか大幅に改善されずにきていた。
このため、地方財政法の改正により公教育に対しての住民への責任転嫁を禁止を明示することが課題となっていた。

社会教育団体をめざして

急激な設立・発展を遂げた PTA 運動も、全国組織ができ、戦後の教育制度の創設に尽力し、教育条件の改善充実に努めてきて、学校教育費への公的負担の方向が明確になるにつれて、これまでの学校後援的な活動ばかりではなく、PTA 本来の成人教育、両親教育、青少年教育などを進める社会教育団体としての活動を強力に推進すべきではないかとの活動についての反省、模索の時代に入る。

教育環境整備への予算要望

昭和 30 年代半ば以降は、生徒数の急増期に当たり、教育環境の整備が教育行政にとって大きな課題になった。
前後すぐの時代に生まれた第一次ベビーブーマーが中学に進学する時期にあたっていた。
中学生数は、昭和 35 年(1960)度には前年度に比べて 71 万人増、翌 36 年度には 100 万人増、37 年度には 40 万人増と 3 年間の合計で 200 万人が急増する状況であった。

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